Tinypath〜日々書き綴る

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もし、全員を楽しませられないのなら、自分で楽しむしかないじゃないか

人生の中で、影響を受けるもの。受けたもの
それは、物でも人でも何でも構わない。

その時の自分が求めていた引き寄せがそこにある。

文章を書くという行為。
それが好きで、日々書き続けることに意義があると
一度中断したものの
4年後の2009年11月20日に、HPの日記を再開した。

それまでの古い日記は、過去日記として保存しておきたかったが
フィッシングサイトに乗っ取られ、、このウェブ上にはない。

あの頃の日記を思うのなら、
今よりもう〜んと軽かった。
というよりか、つぶやきに近いような軽やかな喜怒哀楽。

そして、それから4年後の
再開時の2009年11月20日に
私は以下の様なことを書いていた。

>望むものは、大きな大きな宇宙規模のエネルギーで与えてくれる。。そんな気がしています。
>今年は、村上春樹さんの本を初めて読んだ。

2018年10月
私は、日記を書く行為を中断しました。
何故かと言えば
先日まで読んでいた村上春樹氏の本に大いに影響を受けたからだ。

日記の再開と
そして、新たな決心時に村上さんのことを書くというのも
偶然ではない自分の根幹的なものがあるのだろうとびっくりしている。

「職業としての小説家」という彼のエッセーの中で、
何度か出てくるのが、
リックネルソンという歌手の
「ガーデンパーティー」という歌の歌詞。

「もし、全員を楽しませられないのなら、自分で楽しむしかないじゃないか」

村上さんは、この言葉を何度も引用しながら、
小説家としてデビューしてから、重鎮達に批判されまくったことや
どんなに良いと思って仕上げたものでも
世の中100パーセントの人に支持されないのなら
自分が楽しむしかないというスタンスで、小説を書いているというのだ。


私は、今心のそこから思っている
人生とは、結局
自分が好きなことを一生懸命楽しんですることが、使命ではないのか。

そう思った瞬間に
この日記を書いていたのは、MUST的惰性でやっていたのかと
少し悲しくなった。
あの軽やかさがなくなった瞬間から、
私は楽しめなくなっていたのかもしれない。

プライベートなプライベートな日記なら
MUSTで書く意義があるだろう。
しかし、この書き綴りは、あまりにも中途半端で
スピード感もなくなり、それは誰が読んでも面白くない。

有名人でもない庶民の愚痴など、誰が楽しめるかなのだ。

では、もう、書きたくて書きたくて
どうしてくれる!!!というまで思いが達したときに
はじめて 
「もし、全員を楽しませられないのなら、自分で楽しむしかないじゃないか」
の気持ちになれるだろう。
そうやって、
日々の中で
思いが膨れ上がってきた時、
私は自分を楽しむ術として、日々書き綴る。

ということで、これからは、自分が楽しむ日記を書き綴けようと思っています。



... 2018 / 10 / 08 (MON)


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