Tinypath〜日々書き綴る

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倒錯した愛情

やっと週末を迎える。
この喜び、解放感。
新しい職場に期待と不安をもちながら、三日間
いったい私は何をしていたのだろう。

しかし、年齢を重ねるというのはこういったことなのか。
やはり諦念という言葉の通りなのか。


メディアの力
体操の速見コーチの暴力シーンが映像として出ていた。
それは、何を意味することだったのか。
若い彼女に
もう少し、大人が寄り添って欲しかったと思う。

周りの皆があまりにも自己中心的すぎた。
教育というのは大切で、愛の教育もそうである。

暴力を受けるほうも常態化したそれについて
なんら違和感がなくなってしまったとき
パブロフの犬のように
常識では考えられない愛情に変化するときがある。

夫婦間、恋人間で
暴力がありながらも続いている関係と同じような感じがした。

でも、でも、
それでも、いい所があると言う
特殊な環境から生まれた愛情ではないのかな。

まったく、関係のないのだけれど
シャーロットランプリングの
「愛の嵐」という映画を思い出してしょうがなかった。

ナチス、強制収容所で将校であった身を隠し
ホテルマンとしてひっそり生きるもののところへ、
ある日、婦人がやってきた。

ユダヤ人であった彼女にとっては、
耐えられないほどつらい時代を思い出す男である。
しかし、恵まれた今の生活を捨てて、
彼女は、その男と倒錯した過去の生活を思い出し、
その堕ちてゆく生活に浸っていくという話である。

あまりにも特殊な環境化におかれると
人間の感覚も普通では無くなってしまうのではないかな。
ましてや、子どもの頃からのつきあいであれば、なおさらではないか。

家族のような関係となれば
身内の悪いところも隠したくなる

良き指導者との出会いであれば、
依存関係もなく、自立した関係で進むことも出来ようが
色んな意味で、遅かった事案ではなかったか。

教育は難しい。
それは、人格に影響を及ぼすからだ。
そして、人格は、
その後のたくさんの
乗り越えていかなければいけないものの人生にとつながっていく。


... 2018 / 09 / 07 (FRI)


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