Tinypath〜日々書き綴る

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考えない作品は、説明の作品

ベランダから、外を眺めていると
ぽつんと雨が当たった。
予報どおり朝からの雨である。

ちょっと一休み。 
映画でも見に行きたいと思っているが、
日曜日なので、街には出かけたくない。
そう思って、夕べ、amazonプライムの映画を選んでいた。

作品に対する評価レビューを見ると
皆、一様に甘い評価のような気がしてならない。


私のモットーは、
淀川長治氏から学んだ
「どんな映画でも何かいいところを見つける」という鑑賞の仕方であるが、
評価はまた別であり、
昔の映画に比べて
今の映画には、深みがないものが多いように思う。

人間の感性、感情表現も軽く、説明っぽくなり、
余韻、沈黙の中で
自分の感性が映画と共に成長していく過程が削られる。

自主的に考える力を削がれるのだ。

日曜日の早朝、NHK教育では、俳句教室が放映されている。

俳句は、説明になってはいけない。
限られた文字数の中に
余韻と空間と感情を想像させることが大切であり、
「考えるのではなく、感じる」というところにたどり着く。

作り手は、それはそれは考えるのだ。
どうやったら読者の感性に訴えることが出来るか
自分の描きたいものを表現できるか。

考えてこその感性の作品であり、
考えない作品は、説明の作品になる。

目に見えるものは、ごくわずかしかなく
あとは、感じるものであり、それが心を揺さぶる。

今日は「新茶」という兼題で、9句が選ばれていた。

新茶と人間模様の描写の中で、
年配の人の情景と
若者の情景を詠んだものがあったが、
先生は若者の情景を詠んだものを特選に選んでいた。

私も同じく
素直で若々しいものを選んでいた。
何故なら、新茶なのだ。
そこには新芽と若葉萌える頃、春から初夏にかけて
季節のエンジンがかかったころであり、人生で言うなら、青春時代。

新茶こそ、はつらつとしたイメージそのものではないか。

感情をたっぷり入れ込んだ句より
清々しいものが黄緑色の新茶に似合っている。
私なりにそんなことを考えた。

昔の映画は、今のような技術もなかったから
少ないツールに思いを入れたのだ。
そして、そこには考えて考えて、
感性豊かな感じる作品が生まれた。

... 2018 / 05 / 13 (SUN)


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